1:受付の女
とある座標に知る人ぞ知る、政府公認の大きな娯楽施設がある。どの時間に訪れても夜のように暗く、怪しげな雰囲気の漂うその場所は、“常夜の街”と呼ばれ、訪れる客の多くは審神者や刀剣男士である。
さまざまな時代と場所から集められる酒や食事が楽しめる他、カジノやショーなどのエンターテインメントも豊富。審神者や刀剣男士たちのストレス発散の場として重宝されており、政府の資金源のひとつになっている。
にぎやかな歓楽街の通りを抜け、さらに奥に進むとひときわ大きく、豪奢な建物がそびえ立つ。和風とも中華風ともいえるその建物の門には、金箔で描かれた大きな文字でこう書かれている。
――暁月楼、と。
建物の中に入ると、煌々とした明かりと、豪華絢爛な装飾の数々が目に飛び込んでくる。壁際にはずらりと遊女たちが並び、通り過ぎる男たちに声をかけている。中には気に入った遊女にチップを渡す者もいた。
その遊女たちは皆、美しい着物を身にまとい、濡羽色の髪を高く結い上げている。化粧を施し、紅を引いたその姿は、まるで本物の蝶のように艶美であった。
廊下を少し進むと、受付のような場所があった。そこにいたのは煌びやかなこの場にはお世辞でもふさわしいとは言えない、眼鏡をかけた真面目そうな女がいた。彼女は客がやってくると、恭しく頭を垂れた。
「――お待ちしておりました。本日は当店をご利用いただき、誠にありがとうございます」
そう言って、彼女は客である男と短いやりとりをした後、受付カウンターの引き出しから慎重に鍵を取り出し、それを男の手に握らせた。彼女の役割は、これで終わりだ。後は男が部屋へと案内されるのを待つばかり。男は満足げに笑って、その場を離れた。
男の背中が見えなくなり、ようやく女はふう、と小さく息をついた。
(よし、ちゃんとできた。この調子でがんばろう……!)
カウンター下で小さく拳を握り、気合を入れるこの地味な女。実は、彼女は今日からパートとして受付を担当することになった、とある本丸の審神者だった。
特にお金に不自由しているわけではないが、元来の生真面目さと仕事の速さにより、彼女は毎日の業務をすぐにこなしてしまう。働いている刀剣男士たちもいる手前、休憩ばかりする気にもなれず、彼女は空いた時間でできる仕事を探していた。そこにこんのすけがやってきて、審神者に耳打ちした。
「――よい仕事がございますよ」
そして、紹介されたのが暁月楼の受付だった。最初は「遊郭」と聞き、腰が引けていた審神者だったが、そこは政府が経営する店であり、裏方には政府所属の刀剣男士や他の審神者もいたので、安心して働くことができている。
給料もよく、職場環境も悪くない。遊女の姐さんたちも感じがいい。オーナーから「海老根」という名前をもらった審神者は、店の者たちの足を引っ張ることだけはしないようにと心に留めて、受付の仕事に励んだ。
そんなある日のこと。海老根がいつも通りに業務をこなしていると、挙動不審な男がやってきた。不安げにきょろきょろと辺りを見回し、何かを探している様子の男に、海老根は声をかけた。
「初めてのお客様でしょうか。どなたかお探しですか? それとも、どこか体調でも……?」
やわらかな声音で問いかければ、その男は弾かれたように顔を上げた。海老根の姿を見て目を丸くし、驚いたように声をあげた。
「なっ、なんであんたがこんなところに……!」
海老根は小さく首をかしげた。目の前にいる男は審神者の本丸にもいる刀だが、なぜそんな反応をするのか分からなかった。
挙動不審な男は山姥切国広だった。初期刀候補の一振りだ。海老根の初期刀も山姥切国広だったが、目の前で狼狽えている彼は自分の本丸の刀剣男士ではない。言葉にするのは難しいが、とにかく違うのだ。おそらく霊力の関係だと思われる。
どこかの山姥切国広は、海老根をじっと見つめ、顔を赤く染めた。
「あの、お客様。やはりお体の調子が悪いのではありませんか? 奥に救護室がありますので、係の者がご案内いたしますが」
海老根は初日に店のオーナーから聞いた説明を思い出し、赤い顔の男が心配になって声をかける。しかし、山姥切国広はぶんぶんと首を振り、大丈夫だと訴えた。
「本当に、平気だから……」
「ですが、とてもつらそうな……。差し出がましいようで恐縮ですが、もしお嫌でなければ、私がご一緒させていただきますが」
「………………わかった、頼む」
山姥切国広の言葉を受け、「おまかせください」と海老根は微笑んで答えた。カウンターの席から立つと、奥のスタッフルームに席を離れる旨を一言告げる。奥には護衛を兼ねて働く政府所属の刀剣男士がおり、「留守は任せておいてよ」という気さくな返事が返ってきた。
「お待たせいたしました。では、ご案内いたしますね」
海老根はそう言って歩き出した。三味線や琴の音色や漏れ聞こえる歌声を耳にしながら廊下をまっすぐ奥に進む。時折振り返り、山姥切国広の体調を気遣った。彼はその度に、照れたような表情を浮かべた。
やがてたどり着いたのは、救護室の扉の前。海老根は立ち止まると、ゆっくりと口を開いた。
「こちらでございます」
軽くノックをすると、中からは聞き慣れた声がする。
「どうぞ」
「失礼します。お客様をお連れいたしました」
扉を開けると、海老根は山姥切国広に部屋に入るように促した。だが、彼がなぜか棒のように突っ立ったままなので、その右手をそっと手にとり、部屋の中に案内する。
中には白山吉光がいた。政府所属の彼は、おもに刀剣男士の救護を担当している。海老根が簡単に事情を説明すると、白山は事務的な声で「酒のにおいに酔ってしまったのかもしれませんね。少し休めば回復するでしょう。薬研藤四郎を呼びましょうか?」と言った。それに山姥切国広は首を振って断った。
「山姥切国広さま、こちらのベッドをお使いくださいね。あと2時間ほどは私も受付におりますので、何かございましたらご連絡ください。……白山先生、あとはよろしくお願いいたします」
「承知しました」
深々と頭を下げ、海老根は救護室を辞した。
山姥切国広はしばらくその場に立っていたが、白山の視線に促されるようにベッドに腰をおろすと、そのまま横になった。枕元にある小さな棚の上には、水の入ったコップと錠剤が入った瓶が置かれている。白山はそれを手に取りながら、静かな口調で言った。
「……飲まないといけません」
「いらない」
「あなたが飲んでくれなければ、他の方に頼まなくてはなりません」
「俺は別に、どこも悪くない……」
「それならば、なぜ救護室に来たのです」
白山の問いに、山姥切は布の下で唇を引き結んだ。
「では質問を変えましょう。あなたはここになぜ来たのですか」
白山が静かに問うと、山姥切国広は押し黙った。そして、絞り出すようにして言葉を紡いだ。
まるで罪の告白でもするように。まるで懺悔をするかのように。それはひどく苦しげな声音だった。