3:審神者と初期刀
海老根は混乱していた。あの山姥切長義の言葉が頭から離れなかった。
――いつかは俺のものになってくれるかな。
あれはどういう意味なんだろう。確かに自分はこの遊郭で働いているが、あくまでも受付としてだ。それ以上でも以下でもない。そもそも、なぜ自分なのだろう。暁月楼に似つかわしくない、眼鏡をかけた地味な女、それが海老根だった。美しい女郎たちをより引き立たせる、華やかさも色気もない平凡な女。きっと何かの勘違いに決まっている。
自分に言い聞かせつつも、海老根は落ち着かなかった。山姥切長義があんなことを言ってからというもの、妙に意識してしまうのだ。今まではただの客だったのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
(落ち着いて仕事をしなければ……)
深呼吸を繰り返して心を静めると、審神者は仕事に集中した。今は暁月楼の受付の海老根ではない。ひとつの本丸を運営する一人の審神者だ。
時刻は夜になった。
今日の出陣部隊のメンバーと出迎え部隊のメンバーが帰城した。出迎え部隊が玄関先で彼らを迎え入れ、手入れ部屋へ案内する。その間に、戦闘部隊が戦果の報告をしに執務室を訪れる。
彼らの報告を聞き、指示を出し、労をねぎらう。いつもどおりの一日の終わり。
しかし、今夜は少し違った。執務室の戸が控えめに叩かれた。入室を許可すると、そこに立っていたのは山姥切国広だった。
いったい何の用事だろうか。不思議に思いつつ、審神者は彼を部屋に招き入れた。彼は緊張した面持ちで、黙ったまま俯いている。
彼はしばらく沈黙していたが、やがて顔を上げると、おもむろに口を開いた。
「あんた、俺に……俺たちに隠していることはないか?」
静かに問われて、審神者はどきりとした。彼の言うとおり、審神者は隠しごとをしている。暁月楼で受付のパートをしていること――これは、本丸の刀剣男士には黙って行っていることだった。別に隠すことでもないとは思うのだが、なんとなく遊郭で仕事をしているとは言いづらく、一カ月以上が経過していた。
「あるなら、教えてくれないか」
山姥切は真っすぐにこちらを見つめている。その瞳は真剣そのもので、誤魔化すことはできないと悟った。観念して、審神者はため息をついた。そして、全てを白状することにした。
「……常夜の街はご存じですか」
「ああ、聞いたことはある」
「そこにある暁月楼という遊郭で、パートとして受付の仕事をしていたんです」
「……なぜそんなところで働いているんだ」
山姥切が怪しむような目つきでそう問うと、審神者は苦笑して答えた。
「空いている時間でなにか仕事ができないかと思っていたら、こんのすけさんが紹介してくれたんです」
「それで、そこで働いていたのか……」
「はい」
彼は目を丸くしたが、すぐに納得したように呟いた。
やはり、遊郭で働くというのは外聞が悪いらしい。どこかの山姥切長義は受付嬢としての自分を好ましく思ってくれているようだったが。
――いつかは俺のものになってくれるかな。
先日の山姥切長義の言葉を思い出し、胸がちくりと痛くなる。彼が何を考えているのか、わからない。
山姥切は考え込むようにして押し黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……次からは俺も行く」
突然の宣言に、審神者は驚いた。
え? 今なんて言ったの? と聞き返す間もなく、山姥切は身を翻して部屋を出て行ってしまった。慌てて追いかけようとしたが、すでに彼は廊下の向こうへと消えてしまっていた。
山姥切が消えた方角を見つめながら、審神者は途方に暮れた。