203号室 その2 - 4/7

【忘れ物】

 朝。いつもどおり政府施設へ出向する山姥切を見送った後、私は早速内職に取りかかろうと政府から定期的に送られてくる段ボール箱に手を伸ばした。中身は依頼札作成キットである。普通の本丸を持つ審神者たちはこの木の板でできた依頼札を使って、鍛刀するのだそうだ。その依頼札を作るのが私の仕事だ。といっても難しいことは何もない。用意された木の板の表面にただひたすら「依頼札」という文字を書くだけの単純な作業だ。とはいえ、刀の神様を呼ぶために使う代物だと思うと自然と背筋が伸びる。慎重に、丁寧に、私はいつものように作業をはじめた。
「……ふう」
 一息ついたところで、ふと部屋の片隅に置かれたままの封筒に目が留まった。見覚えがない。自分のものではないから、きっと山姥切のものに違いない。私は封筒を手に取った。表には「山姥切国広殿」という宛名とともに、隣に小さく私の審神者名が添えられている。発送は備前国にある政府施設からだ。彼が今出向いているのは相模国にある施設だったはずだけれど、どうして備前国から? と不思議に思いながら封筒を見つめていると畳の上に置いていた携帯端末が突然震えだした。着信だ。表示は「山姥切国広」。まだ昼休憩には早い時間だ。勤務時間に彼からの電話なんて珍しい。よほどの急用だろうか。少しだけ不安になりながらも通話ボタンを押して、私は口を開いた。
「はい、もしもし?」
『山姥切国広だ、作業中にすまない。部屋に俺宛ての封筒が置いてあると思うんだが、今そこにないか?』
「はい、それでしたら今さっき見つけて……」
 そう答えたところで電話の向こう側で深いため息が聞こえた。山姥切は困ったように眉根を寄せているだろうことが容易に想像できる。
「どうしました? 何か問題でもありました?」
 心配になって尋ねれば、彼は申し訳なさそうな声で言った。
『それが……』
 私は山姥切から事情を聞いたあと、すぐさま封筒を持ってアパートを飛び出した。向かう先は山姥切が働く政府施設だ。その建物内に併設されている喫茶店で落ち合うことになった。

 封筒を胸に抱え、早足で歩く。山姥切が忘れ物をするなど、本当に珍しい。そういえば、今朝はどこか心ここにあらずといった感じだったが、もしかして調子でも悪かったんだろうか。私は彼のことを思い浮かべながら先へ進んだ。
 慣れない場所に緊張しながら、待ち合わせ場所を目指す。政府施設の中に喫茶店があるなんて知らなかった。迷わずに辿り着けるかどうか不安だが、どうにかなるだろう。しばらく歩いて、ようやく目的の店を見つけた。窓際の席に座っている山姥切の姿が見える。ガラス越しに目が合ったので手を振ってみると、彼は立ち上がってこちらへ向かってきた。
「主、すまない! わざわざ来てもらって」
 開口一番、山姥切が謝ってきた。私は首を横に振る。
「いいえ、気にしないでください。この封筒で間違いないでしょうか? 中身を確認してください」
 彼に案内されて着いた席でそう促せば、彼は封筒の中に入っていた書類を取り出して頷いた。「ありがとう。間違いない」安堵の表情を浮かべている。よかった、と私も胸を撫で下ろした。
「それで、あの……これは一体なんですか? あっ、守秘義務があるのでしたら答えなくても大丈夫ですけど!」
 慌てて付け加えると山姥切は小さく笑みを見せた。
「いや、別に構わないさ。ただの転勤の辞令とその関連書類だ。この中に提出しなければならないものがあってだな」
「ん? ちょっと待ってください。転勤、ですか?」
「ああ。来月から備前国サーバーにある施設へ異動することになった」
「えっと、それはまた急な話ですね。なにか用意しておくものはありますか。引っ越しは?」
 つばき荘から離れることになるのだろうか。一瞬不安が過ったが、山姥切の様子を見る限りそうでもないらしい。彼は「いや、なにも」と首を振って答えた。
「俺の勤務先が変わるだけで、これまでと生活は変わらない。……変わるといえば、夜勤が少し増えるかもしれないな」
「そうですか。引っ越しがないのはいいのですけど、夜勤が増えるのは大変ですね……」
 私の言葉に山姥切は小さく息を吐いて苦笑いした。
「心配はしなくていい。あんたはいつもどおりに過ごしてくれればいいから」
 彼の手が私の頬に触れようとしたときだ。「おーい、山姥切ー」と店の入り口の方から声が聞こえてきた。そちらに視線を向けると全身真っ白な青年がいた。
 山姥切は舌打ちして手を引っ込めると席を立った。真っ白な青年は人好きのする笑みを浮かべながらこちらに向かってくる。山姥切は不機嫌さを隠そうともせず、ぶっきらぼうに口を開いた。彼が他人にこんな態度をとることがあるなんて意外だった。まじまじと彼を見つめていると目が合ったので慌てて逸らす。
「鶴丸国永、一体何の用だ」
 その問いに、白い青年は肩をすくめて言った。
「いやぁ、ちょっときみに用があって。お邪魔だったかな?」
「邪魔だ……と言いたいところだが、まあ、構わん」
 山姥切は渋々といった体で封筒を片手に持って立ち上がった。「すまない主。俺はもう行くが、あんたはゆっくりしていってくれ。ここのパンケーキはなかなか美味いらしいぞ」と言って、鶴丸青年とともに店を出ていった。私はぽかんとその背を見送る。
 よく知らない場所で少し居心地悪く思いながら、どうしようかと考えていると喫茶店の店員がやってきて、「ご注文の紅茶とパンケーキです」と目の前に皿を置いた。
「? すみません、私、頼んでいません」
「こちらにいらっしゃった山姥切国広様がお連れ様に、と注文されましたよ。お会計も先ほど済ませていかれまして。あの、どうしましょうか?」
 パンケーキを持った店員が困惑気味に尋ねてくる。私はしばらく呆然としていたが、山姥切が気を利かせてくれたらしいということに気づいて小さく微笑んだ。
「ありがとうございます。いただきます」
「ごゆっくりどうぞ」
 にこやかな笑みを浮かべて去っていく店員を横目で見ながら、目の前に鎮座するパンケーキの皿を眺める。二段重ねのふわふわとしたパンケーキの上にたっぷりの生クリームとバニラアイスが乗っている。その上に苺やブルーベリー、キウイなどが綺麗に並べられている。とてもおいしそうだ。心の中で山姥切に礼を言い、フォークとナイフを手に取って食べ始める。
(んんんっ! おいしい!)
 甘さ控えめの生クリームとふんわりした生地が口の中に広がり、鼻に抜けるようなバターの香りがたまらない。苺の酸味がちょうどいいアクセントになっている。夢中で頬張ってあっという間に平らげてしまった。
 ふうっと息を吐き、紅茶を飲む。温かくてほっとする味だ。カップを空にしてから、席を立つ。山姥切がくれた休憩時間はもう終わり。
 彼が帰ってきたら改めてお礼を言おう。そう思いながら「ごちそうさまでした」と喫茶店の店員に告げて外に出た。がんばっている彼に負けないように、早く帰って内職の続きをしなくては。