喉が乾いた。
厨にやってきた後藤藤四郎は早速冷蔵庫を開けると、紙パックを取り出した。中身は牛乳。これを飲むと身長が大きくなるらしく、でっかくなりたい後藤はちょくちょく口にしている。
戸棚からコップを取り出し、牛乳を注ぐ。飲むときは腰に手を当てて、一気に。ぷはーっと一息ついたところで、後藤は机の上にある白い湯気を昇らせたカップに目をとめた。白いシンプルな陶器のカップは本丸の主である審神者が大切にしているものだ。そこには茶色く濁った謎の液体が注がれている。――確か、珈琲という名前だったはずである。
審神者は酒を嗜まない。その代わりに嗜んでいるのがこれだ。仕事や休憩の合間に、審神者がこの液体をこのカップで口にしているのを、後藤は何度も見かけている。
一体どんな味がするのだろう。服の袖で乱暴に口を拭いながら、ぼけっとカップを眺める。すると、本日の食事当番の一人である大倶利伽羅が、盆を持って後藤の前に立った。
「暇ならあいつのとこに持っていけ」
そう言って、盆を押し付けてくる。あいつ、とは説明されるまでもない。有無を言わさない言葉に、後藤は思わず了承した。別に断る理由もない。
「それ、あんたが作ったのか」
肌の色がこの珈琲に似てなくもない。そんな小さな感想を抱いていると、「……俺はそこまで黒くない」と睨まれてしまった。口に出していないのに何故バレてしまったのか。
大倶利伽羅はさっさと自分の持ち場に戻っていく。後藤の疑問に対する答えはないが、珈琲は彼が用意したものに違いない。慣れ合うつもりはないと普段公言しているが、この本丸の大倶利伽羅は存外気が利いて面倒見がいい。兄弟たちも同じ感想を持っている。……そんなことを言ったら、きっと彼は仏頂面になるのだろうけれど。
コンロの前では兄弟刀の五虎退が鍋をかきまぜながら、大倶利伽羅に何やら話しかけている。料理の相談だろうか。どこか楽しそうな兄弟の姿を横目で見ながら、ささっと流しでコップを洗う。
「さて、大将のとこに行くか」
受け取った盆に湯気を立てるカップを慎重に乗せ、後藤はそっと厨をあとにした。
仕事中の審神者は執務室にいる。そこで何をしているのかは、まだ新入りの後藤は詳しく知らない。障子の前に立ち、小さく深呼吸をして部屋の中に向かって声をかける。珈琲の香ばしいにおいが鼻をくすぐる。
一拍置いて、ゆっくりと障子が開く。
「どうかした?」
中から審神者が顔を出した。後藤と盆の上のカップを目にとめると、目尻を下げた。
「ああ、わざわざ持ってきてくれたんだ。ありがとう」
優しい声音で返事をし、差し出された盆を受け取る。その表情があまりに嬉しそうに見えたので、自然と後藤の口から問いが零れた。
「なあ大将。それ、どんな味がするんだ?」
底の見えないカップの中身を見つめれば、審神者は少し考える素振りを見せてから、にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「しいて言うなら、大人の味、かな? 後藤くんにはちょっと早いかもね~」
なんて言いながら、カップを片手でつかんで、珈琲の香りを楽しんでいる。「いい香り」呟く審神者を、内心面白くないと思いながら見上げる。後藤は何百年も前から存在する日本刀の付喪神だ。見た目こそ子どものそれだが、齢は審神者よりずっと上。大人の味が自分には早いなど黙ってはいられない。
「そいつは聞き捨てならねえな、大将!」
ムキになって声をあげると、審神者は眉を下げて言った。
「じゃあ、試しに一口飲んでみる?」
手招きされ、部屋に足を踏み入れる。審神者は文机に広がる書類をさっと横に寄せると、その上に盆を乗せて、後藤に座布団を勧める。
「どうぞ」
勧められるがまま、座布団に腰を下ろしてカップを両手で受け取る。しっかりと温かく、内側からは相変わらずの香ばしいにおいが漂う。
さて味はいかほどのものか。
ごくりと生唾を飲み込み、カップのふちに口を付けて、そのまま一口含む。
「!?」
飲み込んだ珈琲の味に思わず後藤は顔をしかめた。
酸っぱい。いや、苦い。とんでもなく珈琲は苦かった。
舌の感覚がなんだか妙に感じ、ちろりと舌を出してみるが特に何も変わらなかった。ただただ苦味だけが残っている。
「ちょ、だ、大丈夫?」
心配げに審神者が顔を覗き込んでくる。それが無性に恥ずかしくて、顔を見られないように後藤は俯いた。苦し紛れに強がってみせたが、審神者はどう思っただろうか。「ちょっと待っててね」そう言うやいなや、後藤の手からカップを奪い、審神者は部屋を出て行った。
「おまたせー」
さほど時間を置かずに審神者は部屋に両手にカップを持って戻ってきた。審神者はにこりと笑うと片手のカップを後藤に持たせた。
「ぬるくなっちゃったけど、それならいけるんじゃない?」
中身を覗くと、先程まで濃い茶色だった液体がだいぶ薄くなっている。恐る恐る一口飲み込む。まろやかで甘かった。
「……あまい」
ぽつりと漏らすと、「だろうね」という返事。審神者も同じものを用意してきたらしく、カップに口をつけて、「うん、甘い」と頷いている。
「砂糖と牛乳を入れて、カフェオレにしてみたんだ。さて、後藤くん。大人の味はどうだったかね」
優しい笑みから一変、審神者は意地悪な瞳で問う。後藤はそっぽを向いて口を尖らせ、苦かったと一言呟いた。