初期刀の恋 - 3/4

その言葉の意味を知ること

 

 本丸には小さな図書室がある。乱の主が趣味でつくったものだが、審神者は特別本の虫というわけではない。細かい文章を読んでいると眠くなる、という彼が好きなのは漫画だ。図書室の本棚には、そんな彼が集めたコレクションが所狭しと並べられていた。
 たくさんの漫画が並んでいるなか、一冊だけ異質な本があった。辞典だ。何百年も前に編纂(へんさん)され、時折更新されるというそれには、審神者が苦手な小さな字がびっしりと詰まっている。
「わからない言葉があったら、これで調べるといいぞ。なんでもわかる優れものなんだ」
 審神者はこの辞典をとても頼りにしていた。

 

 気になる言葉があった。その意味を知るため、乱は図書室にやってきた。部屋にはインクのにおいが染みついている。乱はこのにおいが少し苦手だ。
 目当ての辞典はすぐに見つかった。使い古されており、かなりくたびれている。そのうち付喪神が宿るかもしれない。
 乱は本棚から辞典を取り出した。とても分厚い。鈍器になりうる厚さだ。「敵を殺れるかもな」と以前、物騒なことを口にしていた仲間のことを思い出した。
「よいしょ……えーっと、」
 小口が見えるようにして、見出しから調べたい言葉の位置を探る。このあたりだろうか。見当をつけて、ページを開こうと指をすべらせる。
「あれ?」
 ぴったりと閉じられたページとページの間に、一部わずかに隙間ができていることに気づく。何かが挟まっているようだ。なぜか無性に気になり、乱はその部分を開いた。
「押し花?」
 白詰草の葉だった。なんてことはない三つ葉で、本丸のそこらに生えているものだ。いい加減に挟まれたらしい葉は、茎の部分が変なふうに折れ曲がっていた。それなりに時間も経っているようで、すっかり押しつぶされ、平べったくなっている。
 一体誰が挟んだのだろう。雅を解する打刀の姿が脳裏を一瞬過ぎったが、乱はその考えを否定した。彼ならもっときちんと丁寧につくるはずだ。辞典の持ち主である審神者は、なんとなく違う気がする。
 どうしてここに、こんなものがあるのか。
 辞典の見出しの文字は「こ」だった。印刷された文字を追う乱の目に、ひとつの単語が飛び込んできた。
――恋。
 鉛筆でぐるぐると丸く囲われており、少し下に小さくハテナマークが記されている。
 意味が書かれた箇所を指でなぞりながら、声に出して読んでみる。
「一緒に生活できない人や亡くなった人に強く惹かれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に、男女間の思慕の情。恋慕。恋愛……」(*1)
 おかしい。
 乱はこてんと首をかしげた。辞典で調べれば、わからないことはなんでもわかるはずなのに、書かれている内容が理解できなかった。
「……まあ、恋なんてしたことないしね」
 乱は静かに笑った。
 この単語に印をつけた誰かは、恋をしているのだろうか。誰かに強く惹かれ、切ない気持ちを胸に隠しているのだろうか。
 本丸の仲間の顔を思い浮かべてみるが、こんな行動をとるものに覚えがない。
「恋かあ」
 漫画を読んで憧れたことはあった。いつか自分も誰かに恋をする日が来るのだろうか。
 最初に調べる予定だった言葉のことなど、完全に頭から抜け落ちてしまった。乱は折れ曲がった三つ葉を細心の注意をはらって伸ばすと、そのまま辞典を閉じ、元の場所に戻した。

 

5/25は広辞苑記念日らしい。
*1 新村出編『広辞苑:第四版』岩波書店、1991年 p843より引用

 

 

2021/05/25
目次に戻る