胸が痛いんだが。
医務室に入ってくるなり、内緒話するように静かな声で山姥切国広は口火を切った。医学書を読みふけっていた薬研藤四郎は突然切り出されて顔をあげた。
「……ほかには?」
「動悸、食欲の低下、吐き気……というか、とにかく胃がむかむかする。どういう病かわかるか?」
「ふむ」
あぐらをかいた薬研は本を閉じると腕を組んで考えた。医学書に記されていたさまざまな病名が脳裏をよぎる。山姥切が訴える症状には覚えがあった。
「不整脈か?」
「ふせいみゃく」
「……いや、それだけじゃなさそうだな」
棒立ちになって薬研を見下ろす山姥切の顔色は普段より悪く見える。確かになんらかの病を抱えているように思われた。だが考えてみても、はっきりした病名は出てこない。
「うーん、悪い! 俺にはわからん。気になるようなら、大将に手入れを頼んだほうがいいぜ」
「怪我をしたわけでもなし、あまり気が進まないんだが」
「あんたに元気がないと大将も元気がなくなる。こういうのは早く対処するべきだな」
「まあ、それもそうか。助言感謝する」
山姥切は医務室を出ていった。心持ち表情は和らいでいたが、その足取りは重く感じられた。
ひょっとして、見た目よりも重症なのだろうか。山姥切国広は本丸の初期刀で審神者の右腕といえる存在だ。そんな彼の身に万が一なにか起これば大袈裟ではなく、本丸の危機となりうる。
薬研は再び本を手に取り、ページをめくった。しかし、めくれどもめくれども目ぼしい情報は見つからなかった。
「……ということがあったんだ」
図書室に医学書を戻しにいくと、室内には白山吉光と加州清光がいた。前者は人間の感情について学ぶため、後者は追っていたシリーズの新刊を読むために図書室に来たらしい。薬研は先ほどのできごとをかい摘んで話して聞かせた。
審神者の愛読書であるコミックをぱらぱらと眺めていた白山は、話を聞くと無感動な声で薬研と同じ見立てをした。
「不整脈でしょうか」
「やっぱりそれだよなあ」
書棚から別の医学書を取り出し、目次に目を通す。胸の痛み、動悸、食欲の低下。当たりをつけて該当ページを開き、文章を追う。どの項目もなにかが違うような気がした。
「なあ、それって病気なの?」
紙の音だけがする室内に加州の声が響く。熱心にコミックを読んでいた彼は、本を片手に薬研を見ていた。
「恋の可能性は? その症状、前に読んだマンガのヒロインが患ってたよ。恋の病ってやつ。草津の湯でもどんな薬でも治せない、面倒な病気だよ」
「……恋」
白山が囁くようにぽつりとこぼす。
恋。薬研も心の中でつぶやく。勝手に口元が緩んだ。
「なーに笑ってんの」
「いや、だって俺たちの隊長が。あの山姥切国広が恋だなんて思ったら、ついな」
誰もが認めざるをえない――それこそ、山姥切長義でさえ――働きぶりの初期刀だが、刀としては優秀でも人として見ると彼は少々ポンコツだ。
この本丸の山姥切国広はあまり空気が読めない。そのうえ、とても鈍感だ。センスもなければ、なにかあれば力で解決しようとする、そういう男だった。「なにかいい感じのもの買ってきて」と審神者に言われて、妙ちくりんなおっさんの置物を土産に買ってきたのは記憶に新しいし、調子が悪い家電を叩いて破壊したのは二、三日前の話だ。
なにより、彼は主のための傑作として修行から帰ってきた。
そんな男が誰かに恋をするなど、薬研には想像がつかなかった。大体、誰に恋をするというのか。それからどこで出会うのか。自分たちの世界は己の主を中心として回っているというのに。
笑いを必死に抑える薬研に、加州は肩をすくませて「山姥切だったかあ」とため息をついた。
「それでは食べすぎでしょうね」
変わらない速度で本のページを繰りながら、白山が答える。
「なにか拾い食いしたのかも。だから胸が痛いし、動悸がするし、食欲はないし、吐き気がある。解決じゃん」
「……胃腸薬を処方すりゃいいのか? 隊長には出したことないが効くのかよ」
加州の適当な答えを聞き、お手上げだと薬研は分厚い本を閉じた。
2021/06/19
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