深夜。暑さで目が覚めてしまった御手杵は、喉を潤すために厨へ向かった。非常灯のともる薄暗い廊下を歩く。辺りが静かなせいか、庭の虫の鳴き声がよく響いて聞こえた。
時間が時間なこともあって、道中は誰とも会わなかった。縁側を歩いていたならば、夜警中の仲間に会うこともあったかもしれない。
たどり着いた厨は当然のように真っ暗だった。だが、なぜか中に何者かの気配があった。
甘いにおいがする。
「こんな暗い中でなにやってんだ?」
御手杵は躊躇なく気配に向けて声をかけ、厨の電気のスイッチを押した。
「えっ、御手杵? こんな時間にどうしたのですか」
室内にいたのは本丸の主である審神者だった。明かりが眩しいのか目を細めている。
「あんたこそ、明かりもつけずに何してたんだよ」
呆れ声をあげれば、審神者はバツが悪そうな顔をして、手のひらの中のものを見せてきた。丸い物体。甘いにおいのするそれは、桃だった。一口食べたところらしく、小さな歯型がついていた。
「桃です。五虎退から、平野経由でいただきました。食べ忘れていたことをふと思い出しまして」
「で、この時間にこんな暗い中で食べようとしていたと」
「だって、いい感じに熟れていたんですよ! 食べどきだったんです。小ぶりですし、贅沢に丸かじりしようと思ったんです……」
片手をわたわたと振りながら取り繕おうとする審神者に、御手杵は隠すことなく笑う。
「食い意地張ってんだなあ」
「たまにはいいんですよ、たまには。あ、そうです。御手杵、あなたもどうですか。口止め料です」
実はもう一つあるんですよと言いながら、審神者が冷蔵庫の扉を開ける。
「冷えているので、この蒸し暑さも少しは和らぐかもしれません」
目の前に桃が差し出される。こちらも小ぶりで、おいしそうな甘いにおいが香った。ごくりと喉が鳴る。厨には水を飲みにきただけだったが、もらっておいて損はないだろう。御手杵は頷いて、桃を受け取った。
「……って、受け取ったはいいけど、皮むくの面倒くさいな」
「そこで丸かじりなんですよ! ここに流しがあるでしょう。桃を洗って、この手ぬぐいで拭いて産毛をとります。で、丸かじりなんです!」
果汁で手や口がべたついても、すぐに洗い流せるんですよ。そう胸を張って言いながら審神者が流し台を指差す。
「合理的でしょう」
「なるほどなあ」
教えてもらったとおりにして、審神者の隣に並んで桃を食べる。とても瑞々しいそれは、かぶりつくと口の端から果汁がこぼれでた。もったいないと思い、指先でぬぐって舌で舐め取る。横を見ると、審神者も両手で桃を持ち、同じようにかぶりついている。なんだか一生懸命に見える。小さな動物のようだ。
様子を眺めていると、視線に気づいたらしい審神者が御手杵を見上げた。
「おいしいですね。……これを暗い中でやるのが、本当はいいんですけど」
「そういうものなのか」
「そういうものなんです。だって、こんな姿を誰かに見られるのは少し恥ずかしいでしょう」
照れくさそうに審神者はほほ笑んだ。
* * *
【おまけの会話文】
「けどさ、暗くしていても短刀や脇差にはばっちり見られるんじゃないか」
すべて桃を食べ終え、指で唇をぬぐいながら御手杵は指摘する。審神者は口を半開きにして、「……あ」と声をもらした。
「なんなら、打刀にもあんたのいう恥ずかしい姿ってやつ、見られちまうと思うぞ」
「確かに、みなさん夜目が利きますものね。失念していました」
「平野に見つけられてたら、『もっと堂々としてください!』って言われるんじゃないかあ?」
「ふふ、そうかもしれません」
そう言って、審神者は小さく笑みをこぼす。
「さて……では面倒見のいい懐刀に見つかる前に部屋に戻りましょう。御手杵、おやすみなさい」
「おう、おやすみ」
2021/08/04
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