10月30日の夜。
いつものように本丸から現世にある家に帰ろうとしたときのことだった。審神者は玄関先で堀川国広に呼び止められた。
「堀川くん? なんでしょうか?」
「主さん、明日なんの日か覚えてるかなって思って」
審神者は彼が何を言いたいかわからず首をひねったが、すぐに思い当たった。
明日は10月31日。ハロウィンだ。
審神者は大きくうなずいた。
ハロウィンは西洋のお祭りで、もともとは秋の収穫を祝い悪霊を追い出す宗教的な意味合いのある行事だ。しかし現代では仮装を楽しみ、お菓子をもらい歩くイベントになっている。この本丸でもハロウィンといえば、「トリックオアトリート!」と言えばお菓子をもらえるイベント、として定着していた。
「お菓子、用意しなくちゃですね」
「よかった、覚えていたみたいで。みんなのいたずら、結構容赦ないですからね」
主さんに対するいたずらは、甘いとは思いますけど。そう言って笑う堀川に「いってらっしゃい」と見送られ、審神者は現世に帰還した。
昨年はキャンディー、一昨年はチョコレート、その前はマシュマロ、それから……とこれまでのことを思い起こしながら、今年はどんな菓子を用意しようか考える。
大体はいつも利用する政府の転送ゲート施設で買った菓子を配る。ハロウィンが近くなると需要も高まるようで、ちょうどよい品物が置かれているのだ。だが毎年それを利用していては、鶴丸国永ではないけれど味気ない気がする。
とは思うものの、妙案は思い浮かばない。何かないものかと自宅内をうろうろする。そんな審神者を見かねた家族が、「クッキーとかマフィンとか焼けばいいんじゃないの」と口を挟んだ。
その発言に、ふむと審神者は頷いた。普通のクッキーやマフィンもハロウィンらしい装飾を施せば、それらしくなるかもしれない。
クッキーなら材料も、量産するにもなんとかなりそうだ。就寝時間も近づき、菓子作りを始めるにはやや遅い時間だったが、さっそく審神者は行動を開始した。
レシピ本を片手にキッチンにこもり、クッキーの生地をこねる。できあがった生地は、かぼちゃやおばけ、コウモリに型抜きをし、焼き上がったそれらにアイシングで模様や絵を描いていく。
完成したクッキーは、なかなか可愛らしく仕上がった。驚きはあまりないが、味は悪くない。審神者は満足げにうなずいた。
みんな喜んでくれるといいけれど。
本丸の刀たちの顔を思い浮かべながらラッピングを施す。素早く片付けを済ませた審神者は、明日のことを考えながらベッドに横になった。
その翌日。
仕事が終わり、はやる気持ちを抑えて本丸に向かう。玄関先でいち早く出迎えてくれたのは、博多藤四郎と愛染国俊だった。ふたりは満面の笑みでおかえりのあいさつを言うと、審神者に向けて両手を差し出しながら、そろって「とりっくおあとりーと!」と叫んだ。菓子をもらう前提の動きに、つい笑みがこぼれる。
「はい、どうぞ」
審神者は手提げかばんの中からラッピングしたクッキーを取り出し、ふたりに手渡した。
「ありがとー!」
「ありがとな、主さん!」
そう言うなり、彼らは廊下を走り去っていく。危ないですよ、と言う暇もない。ふたりの背中はすぐに見えなくなってしまった。
「……口に合うといいんだけど」
一人つぶやきながら、執務室に向かう。その途中で、審神者は乱藤四郎と秋田藤四郎に呼び止められた。
「あるじさん、トリックオアトリート!」
「主君、お菓子をください!」
楽しそうに声をあげるふたりに、慣れたようにかばんの中からクッキーを取り出して手渡した。
「はい、どうぞ」
「わあ、ありがとうございます!」
「ありがとう!」
ふたりは嬉しそうにクッキーを受け取ると、慌ただしく廊下を駆けていった。別の誰かから何かもらう予定があるのかもしれない。
「……喜んでくれたみたいでよかった」
審神者はほっと胸を撫で下ろした。
道中、「はっぴーはろうぃん」と言ってお菓子を配り歩く髭切から、棒付きのかぼちゃの形のチョコレートをもらった。審神者もお返しにとクッキーを渡した。
髭切からもらったかぼちゃは、にっこり笑っている。なんだか髭切みたいだ、とそれを眺めながら執務室に入る。
そこではすでに、本日の近侍である山姥切国広が書類仕事をしていた。
「戻ったか」
「ただいま戻りました」
答えると、山姥切は審神者の手元のチョコレートに目を向けた。
「それはなんだ?」
「先程、髭切さんから頂きました」
「そうか。あいつ、今年も配り歩いているんだな」
山姥切はそれだけ言うと、書類に視線を戻した。審神者も出陣や遠征の予定を確認すると、すぐに部隊に指示を出した。
短い時間で慌ただしく業務をこなす。そうして近侍の山姥切とひと息ついていると、開けっ放しにしている執務室の入り口からひょっこりと顔を出すものがあった。
「とりっくおあとりーとですよ、ぬしさま。菓子をくださらなければ、いたずらします」
「今年も来たな……」
呆れたように山姥切がつぶやく。
「こういう催しには積極的に乗らなくては」
そう言って笑うのは小狐丸だ。
「お菓子ですね。ばっちり用意していますよ」
「……私はいたずらでもよいのですが」
審神者が立ち上がると、小狐丸はにこにこと笑いながら近づいてきた。
彼は毎年このイベントがやってくると、審神者のところへ自ら訪れる。そして、お菓子をねだるのだ。
審神者はかばんの中から包みを一つ、取り出した。
「こちらをどうぞ」
「これはこれは……今年はぬしさまの手作りですね。では、ありがたく。ぬしさま、よいハロウィンを」
嬉しそうに包みをてのひらに乗せ、小狐丸は部屋を出ていった。長居しないのはきっと彼なりの配慮だろう。
「……去年より、だいぶ増えていないか?」
かばんからのぞく菓子の包みの量を見て、山姥切が口を開く。
「本丸の刀剣男士の数も、ずいぶん増えましたからね。みんなの分を用意しているので……」
最初の年のハロウィンで、刀数分きちんと用意していなかったために、いたずらされたことを今もはっきりと覚えている。おもしろいことが好きなあの太刀は菓子がないと知るや、にやりと笑って、審神者の頬に黒いコウモリのシールを貼っていったのだった。
いたずらとしてはかなり可愛いものだったが、菓子はちゃんと準備しなければならないと学んだ。扱いに差がでるのもよろしくない。それからは全員分の菓子を用意することにしている。
「……そうだな、確かに刀が増えた」
「にぎやかになりましたよね。あっ、また誰かが来たみたいですね」
そうして、審神者は執務室を訪れる刀剣男士たちに、お菓子を配っていく。
「トリックオアトリート! 主、お菓子ちょうだい!」
「あるじさま、とりっくおあとりーと、です!」
「はい、どうぞ」
審神者は自分からも本丸内を回った。まだ菓子をあげていない男士を発見しては「よかったらどうぞ」と出先で買った土産を渡すように手渡していく。なんだかハロウィンとは違う感じになっているとは思うが、この本丸ではハロウィンとはそういうものなのだから問題はないはずだ。とある男士は、「楽しければそれでいい」と言っていた。
そうやって歩き回ったあと、執務室へと戻る。かばんの中の包みは残り1個に減っていた。
「配り終わったのか」
部屋で留守番をしていた山姥切が立ち上がり、審神者を見た。その問いかけに小さく頷き返し、手提げかばんに手を入れる。
最後の一つは目の前の彼に渡すものだ。ほかのみんなに配ったものと特に変わりはなかったが、山姥切が喜ぶものであればいいなと思う。
しかし、いざ渡そうとすると、なんとなく照れくさい。普段そうするように「お疲れさまです」とでも言って、渡せばいいだけなのに。
室内に沈黙が落ちた。
と、その時。唐突に響いた明るい声が、静寂を切り裂いた。審神者と山姥切が向かい合うちょうど真ん中に、管狐のこんのすけが姿を現した。
こんのすけは審神者に向き直ると、前脚をぴょこんと上げて敬礼のような仕草をした。
「こんばんは、主さま。ハッピーハロウィンでございます!」
突然現れたこんのすけに、審神者は目を丸くした。山姥切も驚いたように小さな生き物を見下ろしている。
この管狐がこうして本丸にやってくるときは、大抵何か大事な用があるときだった。こんな風に現れるのは珍しい。
何か事件でも起こったのだろうか。
「どうしたんですか? 政府からの急な報せでしょうか?」
不安に思って尋ねれば、こんのすけはぱたぱたと尻尾を振りながら審神者をまっすぐに見上げた。その表情は真剣そのもので、審神者も無意識に姿勢を正した。
こんのすけは重々しく口を開くと、かわいらしい声で言った。
「トリックオアトリートでございます、主さま! お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃいますよ!」
審神者は思わずその場にずっこけそうになった。山姥切もぽかんとしている。
こんのすけが期待に満ちたまなざしを向けてくる。審神者は苦笑しながら、かばんの中にある菓子の包みを差し出した。油揚げではないが大丈夫だろうか、とぼんやりと思う。
「おお、クッキーでございますね! これはかわいらしい! ありがたくいただきます。それでは!」
包みの端を口で加えると、ぽん! という効果音とともにこんのすけは颯爽と執務室から消え去った。一体なにがしたかったのだろう。これでは菓子を集りに来ただけではないか。
呆気に取られていた審神者が我に返ったのは、山姥切が吹き出す音が聞こえてからのことだった。山姥切を見ると、彼は肩を震わせて笑いをこらえている。とても珍しい光景に審神者も頬を緩ませたが、ふとあることに気づいてしまい、肩をすぼめる。
「どうしたんだ?」
「あ、いえ……なんでもありません」
山姥切に渡そうと思っていた菓子がなくなってしまった。どうしようと思いながら、審神者は空っぽの手提げかばんの中を見つめた。
ずっとお世話になっている彼にだけ、何も渡さないというのはどうなのだろう。何か買ってくるという手段もあったが、そんな時間はもうない。窓から見える空はいつの間にか暗くなっている。
審神者は心の中で頭を抱えた。
さすがにこのままではいけない気がする。いや、自分の手作りクッキーにそれほど価値はない。だがしかし……。
現世の家に帰る時間も迫りつつある。壁の時計の時間を確認し、審神者がそわそわしていると、不意に山姥切が口を開いた。
「……とりっくおあとりーと、だ」
山姥切は審神者を見て、少し恥ずかしそうに言った。
「えっ?」
「……ハロウィンはこう言うのだろう」
「はい、それはそうなんですが……。お菓子はもうなくて……すみません、用意はしていたのですが」
そう謝る審神者の手を山姥切はぎゅっと握った。そして、そのまま引き寄せると耳元に唇を寄せた。
彼が何を言おうとしているのか、なぜかわかってしまった。審神者は小さく息を呑む。
山姥切はゆっくりと審神者の耳に唇を近づけていく。彼の吐息が耳にかかる。鼓動がどんどん速くなっていくのがわかる。
彼は審神者の耳を軽く食み、それから低い声で優しく囁いた。
「……菓子がないなら、いたずらしてもいいか」
「っ! ま、待ってください。用意していたものでありませんが、前に買ったお菓子の詰め合わせの残りが、」
あるはずです、と慌てて言いかけたところで、審神者の口は山姥切によって塞がれた。
「んっ!?」
「いたずらだからな……俺はこっちでいい」
抱き寄せられ、再度唇が重なる。
審神者は驚いて目を大きく見開いたが、すぐに瞳を閉じて山姥切に身を預けた。温かな体温が心地よい。
開け放たれたままの執務室の戸の向こうには、夜空が広がり、ふたりを見守るように星がきらきらと瞬いていた。
すべりこみハロウィン。