雨の日の話 - 3/5

びしょ濡れ

 

 広間の壁にかかった大型端末でなんとなしにニュース番組を見ている。
 動物園で赤ん坊が生まれた、小学生が地元の農家で農業体験をした、迷いイグアナの飼い主が見つかったといった、ほのぼのとしたニュースのあとに天気予報が続く。
「うわぁ、現世はひどい雨みたいだね。主さん、大丈夫かなあ」
 画面を見て、片手のせんべいをかじりながら、兄弟がひとり言のようにつぶやいた。
「こっちは小雨か。主はしっかりしてるようで抜けてるとこがあるからなぁ。雨に濡れて風邪引かなきゃいいが」
 案じ顔で和泉守がせんべいに手を伸ばす。そんな二人をぼんやり眺め、山姥切は横目で外の様子をうかがう。外ではしとしと雨が降っていた。

 休憩を終えた兄弟たちが先に席を離れる。山姥切は端末の電源を消すと、落ち着かない気持ちで庭を見つめた。雨の雫を受けた紫陽花がきらきらと光っていた。
 何かやることがあればいいのだが、すでにやるべきことは終えてしまっていた。手持ち無沙汰でうろうろしていると、「おーい、暇だったらこっちを手伝ってくれ」と薬研の声がする。呼ばれるまま向かえば、頼もしい短刀は新しい薬の開発をしているらしく、薬草を煎じる手伝いをしてほしいと頼んできた。
 柑橘系の爽やかな甘酸っぱいにおいがした。
「大将用の軟膏を作ろうと思ってな。いい匂いの方がいいだろ」
 薬研はにかっと笑った。
 そんな薬作りの手伝いも終わってしまい、ぼーっとしていると「あるじさんから連絡が入ったよ」と乱が報告をしにやってきた。壁の時計を確認する。いつの間にか時刻は午後5時を過ぎていた。
「大雨の影響で電車、運転見合わせだって。遅くなるって言ってたよ」
「そうか」
 山姥切は視線を外に向けた。相変わらず、本丸では小雨が降り続いている。
「あるじさん、早く戻って来られるといいね」
「ああ」
「寂しいね」
「ああ……って、別にそこまでではない!」
 しっかり話を聞いてなかったせいで、変なタイミングで相槌を打ってしまった。ムキになって否定の言葉を口にすると乱はくすくすと笑う。居たたまれない気持ちになり、山姥切は頭から被った布を押し下げた。

 数時間がたった頃、玄関の方から物音が聞こえてきた。足の速い博多が真っ先に駆け出した。
「おかえりーって、大変や! ばり濡れとーばい!」
 慌てたようなその声が気になり、近くの縁側をそぞろ歩いていた山姥切の足は自然に玄関に向かう。すると廊下を走って戻ってきた博多が目を輝かせた。「ちょうどよかところに!」そう言って、山姥切が被っていた襤褸布を容赦なく引ったくり、身を翻した。「とりあえず、これば使うて!」という声が前方から響いてくる。
「えっ、これ山姥切さんのものではありませんか?」
「よかよか。すぐにタオル持ってくるけんね!」
 そのせりふが耳に入ったときには博多が横を通り過ぎていた。ぴゅーっという効果音が聞こえた気がした。振り返っても素早い短刀の小さな背中はすでに見えない。「誰かタオル! 大きかタオルー!」という博多の叫び声に「はーい、今持っていくよー!」と兄弟が返事をしている。
 とりあえず身を隠す布がないのは困る、という理由をつけて審神者を迎えに行く。玄関先で彼女は襤褸を片手に持ちながら、困ったように突っ立っていた。
 雨にしとどに濡れた彼女は山姥切の姿を認めるなり、微笑んだ。
「あっ、やっぱり山姥切さんのものでしたか。お返ししますね。濡れてしまっていたら、すみません」
 どうぞ、と差し出された布をそのまま受け取る。その腕に濡れた服がぴったりと張り付いているのが見えた。まるで風呂あがりのようだ。ちらりと様子をうかがえば、髪の毛から雫が滴り落ちていた。現世の空は昼間に端末で見た天気予報どおりだったらしい。
 自分が素顔を晒していることを思い出し、顔を背けながら山姥切は尋ねた。
「だいぶ、ひどかったみたいだな」
「弱り目に祟り目というやつですね。強風で傘が壊れてしまいまして」
 眼鏡についた水滴を拭いながら、審神者はどこか疲れたような笑い声をあげた。「靴までびしょ濡れです」と眉を八の字にしている。
「山姥切さん、私のことはお気になさらず、どうぞ戻ってください」
「別に、俺は……」
 気にしていない、と言おうと思ったが口を噤む。
 その代わりに、手に持った自分の布で審神者を覆った。
「襤褸で悪いが、使っておけ」
「いやいや何を言っているんですか。用途が違いますし、濡れちゃうじゃないですか。あなたが使う大切な布でしょう」
「俺の布じゃ不服ということか。洗いたてだぞ!」
 覆った布でぐしゃぐしゃと拭いてやる。夏用のそう厚い布ではないせいか、すぐに水分を吸い取って湿っていく。
「あの、不服とかそういうことではなくてですね。わわっ、ちょっと待ってください! 眼鏡! 眼鏡がっ!」
 珍しく審神者が大きな声をあげる。手をとめて包んだ布を広げると、眼鏡がずれて間抜けな顔をした彼女と目が合った。彼女は楽しそうに笑っている。
「ふふ、山姥切さんの言ったとおりですね。柔軟剤の香りがします。あと、なんだか甘酸っぱい匂いもするような……?」
 いい匂いですね、と審神者が顔の側の布に鼻先を寄せた。きっと薬研の手伝いの際に匂いが移ったのだろうが、妙に気恥ずかしい思いがする。
「ありがとうございます、山姥切さん。こちらはきちんと洗ってお返ししますね」
「勝手にやったことだ、別に気にしなくていい。……あんたのためになったなら、よかった」
 審神者の髪を今度は優しく拭いてやる。彼女は静かに目を伏せ、文句を言うこともなくされるがままだ。
 その様子を見て、ふと我に返った山姥切は、なぜ自分はこんなことをしているのかと自問する。しかし今更投げ出すこともできず、博多と兄弟の到着をひたすら待った。

***

「今はタイミング悪かね」
「そうだね、ちょっと僕ら邪魔かな?」
 死角から顔を覗かせ、ふたりは頷き合う。山姥切の胸中など知らない博多と堀川は、バスタオルと洗濯かごを持って自分たちの登場の瞬間を見計らっていた。

 

2021/07/03
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