金木犀 #1 - 2/6

熱を分け合う

 

 現世の仕事の勤務時間が終わり、職場から出る。真夏の外はものすごい熱気で、冷房に慣れた体が悲鳴をあげた。長袖のワイシャツはさすがにきついかもしれない。
 炎天下の中、本丸へ急ぐ。今日は政府施設へ出かける用事があった。日課の任務もできることはしなければならないし、時間が惜しい。脳内でしなければいけないリストを更新しながら、額に滲む汗をタオルハンカチで拭う。
(ほんの一瞬だけでいいから、南極とか北極とか行きたいなあ)
 有り得もしない馬鹿げたことを考えてしまう。それくらい、うんざりするような暑さだった。

***

「主、起きてくれ」
 必死さを感じる声が聞こえる。肩を強く揺さぶられ、ゆっくり目を開けた。
……よかった、目を覚ましたか」
 安堵の表情を浮かべる山姥切国広が視界に入った。片膝をついた彼に、なぜか体を支えられている。
 一体なにがあったのか。山姥切さんとともに政府に出向き、用事を済ませ、私たちは何事もなく本丸へ帰還したはずだった。
 けれども、ここは本丸ではない。どうも記憶が曖昧だ。現実では猛暑だというのに、この場は妙に寒かった。風も感じる。まるで真冬だ。肌がピリピリする寒さに身をすくませ、周囲をざっと見渡す。
 薄青の壁に同じ色の天井。床は大理石のようだった。冷え冷えとした内装が、余計に室内の温度を低くしている気がした。
 右側の壁に「00:25:39」とタイマーらしきものが設置されていた。なんの数字なのだろう。訝しんでいると、山姥切さんが一枚の紙切れを渡してきた。曰く、側に落ちていたとのこと。そこには「30分経過すると出口が現れます」という一文が印刷されていた。
 氷点下かと思われる寒さの中、30分過ごさなければならない。そう思うとぞっとする。南極とか北極とか行きたいなあ、なんて馬鹿なことを考えたのがいけなかったのだろうか。
「あと25分ですか」
 長袖シャツを着ていてよかったと思いながら両腕を擦ると、床にはらりと上着が落ちた。見覚えのある服だ。あれ、と思って側にいる彼をよく見てみる。いつも被っている布に隠されて気づきづらいが、山姥切さんはジャケットを着ていなかった。
「そんなものでも、ないよりはマシだろ」
「ありがとうございます。ですが……
……どうした?」
 体勢を直して、眠気を覚ますべく両手で頬をぱちんと叩く。
 ぼんやりしていたのが少しすっきりすると、以前目を通した刀に関する資料の文章を思い出した。
 刀は極寒に弱い。寒さで刀が折れた事例の報告――
「や、山姥切さん、ちょっと触ります。失礼します」
 一言告げて、彼の手に触れる。防具の冷たさにも驚いたが、彼の肌も負けないくらいに冷えていた。
「つめたっ! 山姥切さん、私に構っている場合ではありませんよ。あなたが着るべきです」
 床に落ちたままだった上着を拾って、差し出す。
「俺なら大丈夫だが」
「大丈夫じゃなかったらどうするんですか。これを首に巻いてください。ないよりマシです」
 かばんから冷房対策用のストールを取り出して、押し付ける。仕事用のかばんをそのまま持って出かけていてよかったと心底思う。これで日焼け対策用のカーディガンを持っていたら、もっとよかったのに。
 山姥切さんは渋々ジャケットに腕を通したが、ストールは受け取ってくれなかった。仕方ないので無理やり首に巻きつけた。
「これは、あんたが使うべきだ」
「刀は寒さに弱いと見たことがあります。万が一のことが起きてしまったらどうするんです。……私、そんなの嫌ですよ」
 折れるなんて、想像したくもない。内心頭を振って、のろのろと立ち上がる。寒さで筋肉が固まり始めているのか、動きづらい。あまりよくない傾向だ。とりあえずその辺をうろうろしてみようか、などと思う。
 視線をタイマーに向けると今のやりとりで5分ほど経過していた。あと残り20分を乗り切ればいい。あっという間なはずだ。
「あっ、タオルも使いますか? 使っていないのできれいですよ。……あの、山姥切さん、本当に大丈夫ですか?」
 身動きせず無言のままの彼に心配になる。もともと口数は多くないひとだけれど、状況が状況なだけに気がかりだ。色白を通り越してしまっている彼の顔色がまた、私の不安をいっそう強くさせる。
「あなたの顔、ちょっと触らせてください。私の手、冷たかったらすみません。失礼しますね」
 返事はなかったが、嫌だったら振り払ってくれるだろう。腰を落とし、彼が被る布の間に手を差しいれ、白い頬に触れる。
……すごく冷たい」
 氷に触れた気分だった。
 どうにかして冷え切っている彼を温めたい。どうしたものかと考えていると、頬に触れている私の片手に山姥切さんの冷たい手が撫でるように触れた。体がびくりと震える。
「あんたは自分が何しているのか、わかっているのか」
「す、すみません。ご迷惑でしたね」
 慌てて離そうとするが手首をつかまれて、動きを阻まれる。
「もっとこっちに。……言っておくが、主が先に近づいてきたんだからな」
 そのまま引っ張られて、体勢が崩れる。突然の彼の行動に驚いていると、空いている方の腕で腰を強引に引き寄せられた。近くなった距離にいやに緊張してしまう。
……温かいな」
 手首をつかんでいた手が離れ、私の後頭部にまわり、彼の胸元に押し付けられる。気がつけば、しっかりと抱きしめられていた。
 なんだか苦しい。恥ずかしいので逃げたいけれど、背には腕が回っているし、体は彼の両足に間に挟まっている感じになっているし、逃げようにもどうしようもなかった。
「まあ、こういう状況ですし……私もないよりは、マシですかね……
 言い訳するみたいにもごもご呟くと、頭の上の方で彼が首を振った。私を抱きしめる腕に力が込められる。
「なんだか、私が山姥切さんに、温かくしてもらっている気がしますよ」
「俺も、あんたから熱をもらっている」
 ……どう反応すべきなんだろう。気恥ずかしさばかり募っていく。
「えっと……一度、離れてもらって、いいですか」
 乾燥する唇を開けば、いやいやと首が振られる気配がした。言葉にはしないが、やはり山姥切さんは寒いのだ。
「体勢を、変えるだけですよ。タイマーの時間、確認したいですし」
 腕に込められた力が緩められたので、その隙に姿勢を整える。顔をあげるとすぐ側にきれいな顔があり、思わずたじろいだ。毎日見ているはずなのに、こうもドキドキするのはなぜだろう。
 山姥切さん越しにタイマーの表示を確認する。残りは15分。案外、時間が立つのは早い。
「あと15分ですよ」
 かじかむ手をグーパーと動かしながら、彼の背中に腕をまわす。自分から体を押し付ける形になってしまい居たたまれないし、愉快な体勢になってしまった気がするけれど、多少は温かくなると信じたい。私の手も彼の布で直接の冷気から守られるはずだ。
 これは致し方ないことなのだ、と自分に言い聞かせる。
「もう少しの間、我慢してくださいね」
 出した声がかすれる。返事の代わりに、彼は自分が被っている布を私の背にもかけてくれた。そのせいで布がずれ、彼の顔を隠すものはなくなってしまったが、緊急事態と割り切っているのか山姥切さんは珍しく気にした様子を見せなかった。「無理しないでください」そう言うと、強く抱きしめられた。
 しばらく無言が続く。
「眠ってはダメですよ」
 半分自分に言い聞かせるように声をかければ、動作で反応が返ってくる。
 なんだか雪山で遭難しかけているみたいだと思いつつ、タイマーの数字が切り替わっていく様子をただ見つめる。

 時間が経つのは早いと思っていたのに、15分は長かった。残り数分になったところで声をあげる。
「山姥切さん、あと3分ですよ。もう、良さそうですね」
 彼の体に回していた腕を離す。
「なんとかなるものですね」
 笑いかけてみるけれど、表情筋が引きつって上手く笑えなかった。
 預けっぱなしだった体も離し、すっかり固まった手を擦り合わせ、息をかけて温める。そうしていると、その手を彼の手が包んだ。
……あんたの方が、冷えている」
 長いまつげに縁取られた碧い瞳が切なげに伏せられた。どうしてそんな顔をするのだろう。彼が気に病むことはない。
「すぐに温まりますよ。こんなところにいたから忘れかけてましたが、外はすごく暑いですからね。……ん? ちょっと待ってください。温度差。温度差は大丈夫なんですか」
「そう簡単に俺は折れない」
「それはわかってますが、今までにないことですから心配なんですよ……
 そんなやりとりをしているうちに、タイマーがゼロになった。どこからともなく短い機械音が響き、キンキンに冷えていた室内から風の音が消えた。
「ああ、よかった。きっと部屋が開いた音ですね」
 きょろきょろ視線をさまよわせると、先程まで何もなかった場所に扉が現れていた。
「あれが出口ですね。うーん、急に出てもいいものでしょうか。でも、ここは寒いですし、早く出たいような……
 私の手を包む山姥切さんの手はまだまだ冷たい。
「そりゃあ冷たいままですよね……せめてもっと温められたら、少しは安心なんですけど。うーん」
 自分の手にしてみたように、彼の手にも息をかけてみる。吐いた息はまだ白い。
 こんなことをやっても焼け石に水か。変な行動をとってしまったなあと思い、山姥切さんの顔を見ると頬に赤みが差していた。風がなくなったから、いくらかは回復できたのだろうか。
「本丸に戻ったら、念のため手入部屋に行きましょう」
 扉の先が当初の目的地である本丸であればいい。
 そう願いながら簡単に身なりを整え、隣の彼を促して部屋の扉を開けた。

 

2021/09/01
目次に戻る

https://shindanmaker.com/666064
みやこの姥さには目が覚めたら極寒の部屋に閉じ込められていました。壁にはタイマーが見えます。30分経過すると出口が現れます。