ある日、執務室にやってきた山姥切国広が唐突に口を開いた。
「最近、あんたと目が合わない」
彼の言葉にはどこか不満が滲んでいた。パソコン操作をしていた手をとめ、思わず顔をあげる。山姥切国広の静かな碧い瞳が私を見下ろしていた。どきりと心臓が痛む。彼の言葉には心当たりが多々あったが、素知らぬふりで曖昧に笑う。
「……気のせいではないですか」
「気のせいなわけあるか。現に今だって、こちらを見ようとしていない」
はっきりきっぱり言い切って、私の目の前に腰を下ろす。そうして、まじろぎもせずに見つめてくる。彼は布を被っていたころから、こういうところがあった。口数の多くない彼は、言葉を発しない代わりに目で訴えてくる。その強い瞳が好きで、同時に苦手でもあった。
「俺はあんたに嫌われるようなことをしただろうか」
彼の碧い瞳がさざめく。「あんたのための傑作なのに、必要とされないのは堪える」と山姥切国広は抑えた声で、だがしっかりと言った。彼のそのセリフに私はほとほと困ってしまう。彼は私が最初に選んだ刀でこれまでずっと一緒にやってきたのに、必要ないはずがない。
「それは誤解です。私はただ、あなたの顔があんまり綺麗だから直視ができないだけで……あっ」
口走ってしまった言葉に、とっさに手のひらで口を覆うも時すでに遅し。
「そうか」
心の底から安心したような顔で、山姥切国広は微笑んだ。
「綺麗と言われるのはやはり気恥ずかしいものがあるが……あんたに言われるのは悪くない」
以前までの彼なら纏った布を深く被り直して、必死に顔を隠していたことだろう。それなのに今は隠すことなく、むしろ惜しげもなく整った綺麗な顔をさらし、目を細めて私を見ている。
「だが、いつまでも目が合わないのは問題だな。意思の疎通ができない」
山姥切国広はふと考え込むように押し黙ると、数瞬の間を置いて再び口を開いた。
「あんたには慣れてもらうしかないな。……そうだな、こういうのはどうだ」
――1日1回、目をそらさずにお互いの顔を見る。
「続ければ、いやでも慣れるだろう」
極める前の彼が聞いたら卒倒しそうなセリフを、彼は平然と言い放った。
彼の中ではすでに決定事項となったらしい。「よろしく頼む」などと言い、いかにも楽しいといった様子で部屋を出ていった。私に拒否権はなかった。……一応、主なのに。
なにがどうしてこうなってしまったのか。内心頭を抱えるのだった。
業務が終わり、身の回りの片付けを始める頃、見計らったかのように彼は執務室を訪れる。
山姥切国広はなぜか、いつもやる気に満ちている。その様子を見るたび、修行をしている間の彼の身になにがあったのだろうと考える。
「そら、やるぞ」
それを合図に、彼との儀式めいた時間が始まる。
向かい合い、かしこまって座る。山姥切国広の腕が伸びて、骨ばった手が私の両頬に触れる。顔を背けることができないように、がっちり固定される――。最近気がついたが、彼の手のひらは意外と温かい。
近づく顔に、私は毎回怖気づく。迫力を感じるのだ。自然と後退しそうになる体をなんとか抑え、私も彼を見つめ返してみる。彼の凪いだ碧い瞳の奥に一瞬何かがちらっと見えた気がしたが、すぐに自分の戸惑った顔が目一杯に映り、なんともいえない気持ちになる。こんな綺麗な人の視界を自分のような平凡なものが奪っていいのかと疑問に思う。
見つめ合うこと数秒。私は降参だと目を閉じた。先に音を上げるのは決まって私だった。
――こんなのどう考えても無理だ。
平気な人は心臓に毛が生えているに違いない。騒ぐ胸を押さえて、息をつく。
「……昨日より3秒長かった」
山姥切国広の、喉の奥で押し殺すような低い笑い声が鼓膜を打った。
「山姥切くん、これもう無理じゃありませんかね。心臓が持ちそうにありません」
「無理じゃない。あんたの心臓はまだいけるはずだ」
「いやいやいや、なにを根拠に……もう……」
両頬から離れない手を外してもらおうと彼の手の甲をぽんぽんと叩けば、すっと解放される。部屋の空気がひんやりと心地よく感じる。
「まあとにかく慣れてくれ」
「これ、必要なことですかね?」
「必要なことだ」
いつかのように、はっきりきっぱり言い切ると、彼は小さく笑って立ち上がった。「お疲れ、明日もまた来る」そう言って、山姥切国広は颯爽と部屋を出て行く。静かに襖が閉まる。
彼は私を一体どうしたいのだろう。慣れる日など本当に来るのだろうか。いまだドキドキとうるさい心臓に辟易しながら、傍らのちゃぶ台にへなへなと突っ伏して叫ぶ。
「やっぱり無理だと思う……!」
2021/06/07
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