微笑

「獅子王選手、振りかぶって第1球、投げました!」
 そう言うやいなや、獅子王は力を込めて、手の中の小さなボールを投げた。相対するのは御手杵だ。「よーし、こーい!」と言いながら、竹ぼうきを構えている。この本丸では先日テレビで野球の試合を観戦して以来、野球ブームとなっていた。2人も例にもれず、庭掃除中にもかかわらず、野球ごっこに興じていた。
 獅子王から放たれたボールはどんどん加速し、御手杵の目の前に迫る。しかし次の瞬間、ボールは急カーブであらぬ方向に進路を変え、うまく障子を突き破り、とある一室へと飛び込んだ。
 ガチャン!
 何かが割れる、嫌な音が響く。
「「……げ」」
 獅子王と御手杵は顔を見合わせて絶句する。ボールが入ってしまった部屋の主を思い、2人は心を1つにした。
――逃げよう。
 掃除道具を放り投げて、一目散に2人はその場を後にした。

「どうしよう」
「どうしようなあ」
 非常にまずいことになった。獅子王と御手杵は頭を抱えた。例の部屋で何を割ってしまったのかはわからないが、部屋の主のことなので値打ちのあるものに違いない。
 逃げていてもすぐに下手人は自分たちだと知れるだろう。咄嗟に逃げてしまったが、さっさと白状して謝ってしまったほうがいっそ楽だったかもしれない。
 2人が深い深い溜息をついたときだった。
「ああ、獅子王くん、御手杵くん。こんなところにいましたか」
 落ち着いた穏やかな声が2人の名を呼んだ。廊下を歩いてくるのは本丸の男主である審神者だった。そのすぐ後ろには彼の初期刀が控えている。
「ああ、主か。俺たちに何か用か?」
「用があるのは僕ではなく、歌仙くんですよ。随分怒っていた様子でしたが……」
 審神者から件の部屋の主の名が出てきて、思わず獅子王と御手杵は体を震わせた。歌仙くんこと歌仙兼定は常日頃は穏やかなのだが、戦場ではその表情が一変する怒らせたら怖い男士の1人だ。
 2人が顔を青ざめさせると、事情を察したのか審神者がおずおずと口を開く。
「歌仙くんは厳しいところがありますが、優しい方です。誠意を伝えれば、わかってくれると思いますよ」
「……何をやったのかは知らないが、謝るのは早い方がいいんじゃないか」
 審神者の後ろで初期刀もぽつりと呟く。出過ぎたことを言ったとでも思っているのか、彼は顔が見えないように深く布をかぶっている。
 獅子王と御手杵は再び顔を見合わせ、どちらからともなく頷きあった。

 審神者と初期刀の言葉に背中を押され、獅子王と御手杵はとある一室の前にいた。目の前の障子にはばっちり穴が開いている。
 どちらのものだろうか、ごくりと唾を飲み込む音が妙に響いて聞こえる。
「行くか」
「行くか」
 そういうことになった。
 確認しあい、いざ出陣。部屋の主を呼ぼうと声をあげようとすると、その前に障子がスパンと開かれた。
 恐る恐る顔をあげると仁王立ちした部屋の主、歌仙兼定その人の姿があった。その背後には無残に割れた茶器の姿がちらと見える。
「やあ、2人とも。待っていたよ」
 野球ボールを片手にのせ、歌仙は審神者たちに“とろけるような”と称される美しい笑みを浮かべた。