膝丸と出られない部屋

 夜。夕食を済ませ、自室で今日の出陣結果の報告書を作成していると、部屋の外から声がかかった。近侍を任せている膝丸のものだった。パソコンの画面から視線を外して入室を促すと、茶封筒を片手に膝丸がやってきた。
「君に文が届いていたぞ」
「ありがとうございます」
 受け取った封筒は政府から届いたものだった。早速ペーパーナイフで開封し、出てきた手紙に目を通す。そこには健康診断の知らせが簡潔に書かれていた。それをかしこまった様子で控えている膝丸に伝える。
「2日後に健康診断があるみたいです。近侍を連れて行くようにとのことなので、お願いできますか」
 尋ねると、彼は「無論だ」と短く答え、頷いた。

 

 そして、2日後。
 健康診断は滞りなく行われた。結果を待つ間、近侍としてついてきてもらった膝丸とロビーのソファでしばらく休憩する。辺りには同じような審神者が刀剣男士たちと談笑する姿がちらほら見られた。
「今日は付き合わせてしまって、すみません」
「いや、俺は構わない」
 そこで会話は途切れてしまった。つなげるための話題もこれといって見つからず、しばし沈黙が流れる。審神者は内心困りながら、自販機で買った紙コップのお茶に口をつける。
「ねえねえ、知ってる?」
 ふとどこからか他所の審神者の話が聞こえてきた。どうやら噂話らしい。曰く政府施設からの帰り、本丸に戻るためのゲートを通ったのに何故か知らない空間に辿りつく、ということが稀にあるらしい。しかも身動きが難しい狭い空間だそうだ。「なにそれ怖い」とはその話を聞いていた別の審神者の感想だ。
 不思議なこともあるものだ、と話を耳にした審神者は、いつの間にか空になった紙コップを見つめながら心の中で呟いた。ちょうどその時、診断結果が出たのか、審神者の控え番号が電光掲示板に表示された。審神者は膝丸に一声かけると席を立った。

 困ったことになった、と審神者は診断結果の入った封筒を握りしめた。真新しかったはずのそれは、無残にもしわくちゃになってしまっている。
 診断の結果、健康は問題ない。しかし、審神者に必要とされる力――霊力が落ちているとのことだった。今まで自覚症状がなかっただけに、寝耳に水だ。審神者業を続けることに問題はないと聞かされたが、今後を思うと不安が残る。
 気づかないうちに難しい顔をしていたらしい。膝丸のもとに戻るとどこか気遣わしげな顔で迎えられた。
「何かあったのか」
「あ、いえ、大丈夫です。終わりましたし、帰りましょうか」
 今日はお付き合いありがとうございました。頭を下げれば、膝丸はそれ以上深く聞いてくることはなかった。
 道中は無言。ゲート前で「お疲れ様でした」と声をかけてくる政府の職員と軽く挨拶をかわし、本丸への門をくぐる。
――くぐったはずだった。
「あれ?」
 ゲートの先には何もなく、行き止まりだった。本丸ではない、知らないどこかだ。薄暗い。辺りを探るように手を突き出す。すぐ目の前に壁があった。
 後から来る膝丸に即座に伝えようとするが、背中の衝撃に一歩遅かったと悟る。
「ここは……?」
 彼の不思議そうな声が耳元で聞こえる。想像以上に距離が近い。背中に膝丸の体温を感じ、妙にどぎまぎしながら審神者は答えた。
「どうも行き先が間違っていたみたいです。戻りましょう」
 振り返ると膝丸の胸板に顔がぶつかった。「すみません」頭を下げようにも下げられないので、言葉だけで伝える。が、膝丸が動く様子はない。
「あの、膝丸さん?」
「すまない、主。これ以上さがれないのだ」
「え……?」
 どういうことだろうかと膝丸の背後に腕を伸ばす。すると、まっすぐ伸ばす前に手のひらが壁にあたる。ためしに押してみるがびくともしない。ついでに出入り口がないか手で探ってみるが、今いる場所がとても狭い空間だということがわかっただけだった。
 それでも納得できなくて、膝丸の背後を探っていると、頭の上から彼の困り声がする。
「……すまないが主、あまり動かないでくれないか」
 見上げると、薄暗い中で膝丸の琥珀色の瞳と目が合った。
 近い。近すぎる。
 思わず後ずさるが、背後は壁。横にずれようにも壁が阻み、移動することは叶いそうもなかった。
「すみません、すみません」
「だ、大丈夫だ」
 そういう膝丸の声音はどこか苦しそうだった。心配になった審神者はそっと彼の頬に触れた。――熱い。
「あの膝丸さん、具合悪いんですか」
「っ! 問題ない。問題ないからそのように俺に触れてくれるな」
「でも苦しそうです。早くここから出ないと。そ、そうだ、政府に不具合の連絡をしましょう!」
 なぜ今まで思いつかなかったのか。かばんに入れていたはずの携帯端末を取り出そうと探る。が、その手は膝丸の手に取り押さえられた。
「どうしたんですか?」
 早くしないと大変なのに。不可解な膝丸の行動に彼を再度見上げる。その瞬間、見計らったかのように膝丸が口付けてきた。
「膝丸さん……?」
 ぽかんとしながら口を開けていると、再び唇を奪われる。今度は深く、口の中に押し入ってきた膝丸の熱い舌が、ねっとりと審神者の舌を絡め取った。