ちょうど一年前。春の日のことだった。庭の桜は満開で美しく咲き誇っていたが、その日は朝からあいにくと天気が悪く、今にも降り出しそうな曇天だった。
庭を眺めながら、山姥切国広のことを思っていた。「就任祝いだ」と彼が贈ってくれた花のお返しに何を渡そうかと、ここ数日ずっと考えているのだ。だが、なかなか良い案が思い浮かばず、結局何も用意できていない。私はこの本丸の審神者だが、元来の口数の少なさとコミュニケーション能力の低さが原因で、初期刀である彼とすらあまり会話をしたことがなかった。だから、まさかプレゼントを贈られるとは思ってもみなくて、驚きのあまりに固まってしまったのを覚えている。
「……実際に見て考えよう」
傍らに置いていたチラシを引き寄せ、文面を目で追っていく。そこには本丸がある周防国のとある座標に、新しくショッピングモールができたという知らせが書かれていた。モール内にはさまざまな店が出店しており、その中にはもちろん雑貨屋や菓子屋、花屋などもあるようだ。
開店からすでに二週間ほどたっているから、苦手な人混みもそれほど酷くはないだろう。何かしら贈り物が用意できるかもしれないと思い立った私は、行く先を伝えて早速本丸を後にした。一人で出かけることに渋い顔をした山姥切が一緒に付いていくと申し出てくれたが、断った。買い物の目的が彼へのプレゼント選びだったから当然だ。
初めて訪れたその場所は多くの審神者と刀剣男士で活気づいていた。私のように一人で歩いている人もいれば、刀剣男士だけのグループもいる。中には審神者同士で連れ立っている人、親子連れもいるようで、和やかな雰囲気が漂っていた。
人の流れに沿って、店をのぞいて回る。メンズ向けのファッション店、アクセサリーショップ、小物類を扱う雑貨屋……とさまざまな店舗が軒を連ねていた。だが、どれもいまいちピンと来ないものばかり。いいな、と思うものも一応あったが、それは私の好みであり、きっと彼の好むものではない。そう思うと、手元に残るものよりも消えてしまうものを選んだほうがいいような気がした。
(やっぱり食べ物かな。山姥切は好き嫌いはなかったはずだし……)
悩みながらも足を進めていくと、ふと一軒の花屋に目が留まった。店先には色とりどりの季節の切り花や鉢植えが置かれていて、隅の方では小さなサボテンが日光浴をしていた。
「きれい……」
立ち止まってぼんやり見ていたところ、店の奥からエプロン姿の女性が出てきた。彼女はこちらに気づくと、にっこりと笑って話しかけてきた。
「こんにちは。贈り物でしょうか?」
「! ……えっと、はい。いつもありがとうと感謝を伝えたくて……」
そんなつもりはなかったがつい口からこぼれてしまった言葉に、女性は嬉しそうに微笑んだ。店内を指さし、好きなものを選んでほしいと言う。
店内には薔薇、百合、かすみ草に紫陽花、ガーベラとたくさんの種類の花が並べられている。花言葉など考えているとキリがなく、どうにも迷ってしまって決められない。結局店員さんに助けてもらうことにした。頭の中にあるイメージをなんとか伝えると、店員さんがいくつかの候補を出してくれる。その中から最終的に選んだのは白と黄色のチューリップだ。春らしくていい。かすみ草も添えてもらって、可愛らしいブーケになった。
ラッピングされたそれを大切に抱えて、来た道を戻る。花をもらったお返しに花を贈るなんて変だろうか。芸がないだろうか。
少しでも喜んでくれるといい。そんなことを考えながら、ショッピングモールの出口に向かって歩いていたときだった。
突如、前方から轟音が響いた。びっくりして目を閉じ、片手で耳を押さえる。しばらくしてから恐る恐る目を開けると、目の前に黒い煙が立ち上っていた。
悲鳴があちこちで上がる。逃げ惑う人々。パニックになった人々の波に押されて、転びそうになる。「遡行軍だ!」という叫び声を聞き、この場所でなにが起こったか悟った。
激しい剣戟の音が聞こえる。誰かが戦っているのだ。私はその場に縫い付けられたように動けなかった。恐怖で体が震えて、喉からはひゅっと空気が漏れた。日々、刀剣男士を戦場に送り出してはいるが、自分がそのまっただ中に放り込まれることなど考えたこともなかったからだ。
(……逃げなくちゃ)
今、私にできることはなにもない。足手まといにならないように、早くここから離れなければ。花束を抱え直して、もと来た道を引き返す。人々が混乱しているせいで、思うように前に進めない。
ようやく人混みを抜け出たと思った矢先、背後でまた何かが崩れる音がする。ここも駄目か、とさらに先に進もうとしたところ、どこからか声が聞こえた。幼い子どもの泣き声のような、助けを求めるようなそれを聞いて、反射的に振り返る。
「誰かいるんですか!?」
問いかければ、さらに泣き声は大きくなる。瓦礫の山の方からだ。駆け寄ると、積み重なったコンクリート片の隙間から小さな女の子の姿が見えた。
「今、助けるからね」
深呼吸し、冷静になるよう努めながら抱えていた花束を脇に置いて、山が崩れないように慎重に壁の欠片をどけていく。
思ったよりコンクリート片が大きく、作業は難航していた。手伝いを求めようと思っても、物陰になっているせいかこちらに気づいてもらえない。どこかで何かが発火したらしく、辺りに煙が充満してきたため、焦燥感が募ってくる。戦闘の音は止んでいない。いつ、誰がここに来るかもわからない。
「もう少しだから頑張って!」
汗を拭いながら声をかけると、少女は泣きながら顔を上げた。煤だらけの顔を見て、けがをしているのではないかと不安になったが、幸いなことに大きな傷はないようだった。安心していると、彼女は両手で涙をぬぐいながら声を張り上げた。
「おかあさん、おかあさん……! たすけて……! たすけてよぉ……!!」
母親とはぐれたのだろうか。とにかく急がなければと、焦りと恐怖で震える手を握りしめながら、瓦礫を除ける。指先から血がにじむが、そんなことを気にする余裕はなかった。ただ必死だった。
(急がなくちゃ、急がなくちゃ……)
怒号が近づいている。火が燃え移る音。刀がぶつかり合う金属音。気持ちばかり焦るなか、コンクリートの山からなんとか少女をすくい上げたそのとき、地響きとともに視界が揺れた。
「……!?」
天井から照明が落ち、続いて土埃が落ちてくる。私はとっさに少女を庇おうとして覆い被さったが、次の瞬間強い衝撃を受けた。意識が遠のきそうな痛みに喘ぎながら霞む瞳をこじ開けると、燃え盛る炎と異形の姿が映り込む。見覚えがあるそれは遡行軍の短刀と脇差だった。
嘘でしょう、と思いながら少女を抱きしめ、身を隠してやり過ごす。早く彼女を母親のもとに届けなければならない。そう気が逸ってしまったのがいけなかったのだろう。足元に転がっていた破片が音をたてた。
しまった、と気づいても遅い。敵短刀がこちらを振り向く。その視線は私ではなく腕の中の少女に向けられた。やめて、と叫ぶ暇もなく、切っ先が振り下ろされる。
「っ!」
抱きしめる力を強める。だが、覚悟したはずの鋭い感覚がいつまでも訪れないことに違和感を覚え、こわごわと目を開く。
「……え?」
すぐそこにいたはずの敵短刀は真っ二つになって地面に落ちていた。呆然としながらそちらを見上げると、視界の端に見慣れた布が翻った。そこには山姥切国広がいた。
「無事か」
聞きなじみのある低い声で問われ、私は小さく首肯した。ため息が上から降ってくる。彼は私の横に膝をつくと、そっと肩に手を置いた。そして、私の体をゆっくり起こしてくれる。
「……その顔、その手。すぐに手当してやりたいところだが……。主、歩けるか? ……その少女は知り合いか?」
布に隠れて表情はよくわからないが、口調から山姥切が急いでいることはわかった。矢継ぎ早に質問してくる彼に大丈夫だと手短に答え、状況説明をする。
「この子、お母さんとはぐれてしまったみたいなんです。早く見つけてあげないと……」
「わかった。とりあえず、ここから離れるぞ」
「はい。……外に出られたらいいのですが、少し難しそうですね」
近くにある壊れた案内板を見てみると、このショッピングモールには緊急避難場所があるらしいことが分かった。そう遠くもないので、まずはそちらへ行ってみるのはどうかと提案する。
「そうだな、それが無難だな」
先導するように前に立って歩く山姥切のあとに、少女と手をつないで続く。歩けるかどうか尋ねたところ、「だいじょうぶ」とのことで、ひとまず安心した。
「…………あっ」
思い出したように立ち止まり、私は後ろを振り返った。視線の先には無残に潰れた花束があった。
「主、どうした?」
「…………いえ、なんでもありません。急ぎましょう」
少しの寂しさを振り払うように首を振り、不思議そうに見上げてくる少女に笑みを返して後を追う。
――花束などいつでも買えるし、いつでも彼に渡せる。