はわわ!な本丸の話

 夏がやってきた。
 じりじりと騒ぐ蝉。空を仰げば太陽の光がさんさんと降り注ぎ、庭の草木は青々と茂っている。ついでに蚊の姿も見えるようになってきたので、つい先日蚊取り線香を導入した。昔懐かしい豚の陶器は、可愛いと短刀たちの間で評判だ。
 軒下に吊るした風鈴がちりんと涼しげな音色を奏でる。縁側に腰掛けながら、審神者はぼんやりと夏の匂いのする庭を眺めた。
「夏だなあ」
「夏だねえ」
 審神者の呟きに声を被せてきたのは、にっかり青江だ。そういえば彼は今日は非番だった、そんなことを思い出しながら、審神者は声の主を見上げた。手に盆を持った青江は隣に腰を下ろすと、盆から麦茶の注がれたグラスを1つ手に取り、審神者に差し出した。中に入った氷がからころと軽快な音を立てる。
「ありがとう」
「いやいや。暑いし、喉乾くだろうからって燭台切くんからだよ」
「そっか。相変わらず気が利くなあ」
 受け取ったグラスに口をつける。よく冷えた麦茶はとてもおいしかった。

 茶を飲みながら、しばし歓談。青江とは審神者になったばかりの頃からの付き合いなので、出陣や遠征での話や、本日の夕食のメニュー当てなど話題はつきない。そうして、他愛もない話をしていたときのことだった。にわかに屋敷内が騒がしくなった。
 外に出ていた部隊が帰ってきたのだろうか。耳を澄まして聞こえてきたのは、口論のようだった。
「ちょっとやめてよ!」
「いつも言っていると思うけど雅じゃない!」
「あー? いいだろ別に。暑いんだからよー」
 どうしたのだろう。審神者は隣の青江と顔を見合わせる。聞こえてくる声は、遠征に出していた第三部隊のメンバーのものだった。乱と歌仙がどうも同田貫に苦言を呈しているようだ。
 様子をうかがうため腰をあげると、騒ぎの元の方が先にこちらへやってきた。「おかえりなさい」そう口を開きかけたが、視界に飛び込んできたものを見て、出そうと思っていた言葉を飲み込んだ。
 先ほどから聞こえていた口論の原因はこれだったのか。隣で青江が「なるほどねえ」とすべてを理解したとばかりにぼそりと呟く。同田貫をはじめとした一部のメンバーが半裸の姿で廊下を闊歩していたのである。
「おう、主。帰ったぞ!」
 半裸の1人である岩融が片手をあげて、にかっと笑った。
「あっ、ただいま主! ねえ、主からも一言言ってやってよ!」
「僕からも頼むよ。彼ら、帰るなりこれなんだから。全く雅のかけらもない……」
「はあ……」
 ぷりぷりと怒っている乱と歌仙に苦笑しながら、彼らを怒らせる元凶を呆れつつ、ちらりと見やる。元凶たちは全く悪びれた様子もなく、「暑い暑い」と口々に零している。審神者はそっと視線をそらし、肩を竦めた。
「あのねえ、親しき仲にも礼儀ありって言うし、服脱ぐのは自分の部屋なり風呂場なりにしようよ」
「暑いし、しょうがないだろー」
 不貞腐れたように呟く愛染の隣で、御手杵がはははと笑いながら自身の頭をかく。
「汗だくだったからなあ」
「まあ確かに今日は暑いし、大変だったとは思うけどさ、ちょっとの我慢じゃない」
「別に誰かに迷惑かけてるわけでもねーし、問題ねえだろ。大体男所帯はどこもこんなもんだ、諦めな」
 食い下がる審神者に無愛想に応え、簡単に遠征の成果を報告をすると、颯爽と同田貫は廊下を歩いて行った。それを他のメンバーが追いかけていく。そんな遠征部隊の背中に向けて、青江が「お風呂沸いてるよー」と声をかけた。
 慌ただしい足音が遠ざかり、辺りに響くのは蝉の鳴き声とそよ風に揺られた風鈴の音のみとなった。審神者と青江の間に一瞬の沈黙が流れたのち、青江がゆっくり声を発した。
「……まあ、今日は暑いしねえ」
 そう言って、彼は項垂れる審神者を見た。
「そうだね、暑いね、でもさあ」
 がっくり肩を落として、審神者は半ば自棄糞になって言う。
「私、これでも一応女なんだけど!」

   ※

 夕食後、日も落ちて暗くなった庭を眺めながら、審神者は1人縁側に腰掛け、本丸での暮らしについて考えた。
 男ばかりの中に女1人。まるでどこかの漫画や小説のような状況。人によってはときめく展開もあるかもしれないが、残念ながらこの本丸を預かる審神者にはそれはなかった。元来ここの審神者はガサツでズボラな性格だった。そのため、男ばかりの状況にすっかり慣れてしまい、自分が女であるということも半分以上捨ててしまっていた。もっとも、とある刀剣男士を顕現させてからは、一応女であることを思い出して身だしなみも気をつけるようになったのだが。
 そんなわけで、初期から苦楽を共にしてきた仲間たちはどうも審神者を女と認識していない。夕食前の刀剣男士とのやりとりの中に「男所帯」という単語が出てきたことからもそれは窺える。
「はあ~……」
 深いため息をついて考える。自分を女として見てほしいわけではないが、半裸でうろつかれるのは目のやり場に困ってしまう。そのうち、褌一丁で廊下を闊歩する者も現れるのではないかと思うと気が滅入る。
 別にいつもしっかりしていろとは審神者も思わない。ただ、少しは慎みが必要だろう、というだけの話だ。
(私がもっと女らしい審神者だったら少しは違ったのかなあ)
 他の女性審神者の本丸はどういう状況なのだろう。考えながら、審神者は再度ため息をついた。
「ため息なんてついてると幸せが逃げちゃうよ」
「ああ、燭台切さんかあ」
 横からかかった声に顔をあげると、どこか心配そうな太刀の青年が傍に立っていた。彼こと燭台切光忠は、初めて審神者が喚んだ太刀で、この本丸の主戦力にして彼女の良き相談相手でもある。ちなみに、女であることを捨てて生活していた彼女に説教をして自覚を促したのは、この燭台切である。
「それで何かあったのかい?」
「たいしたことじゃないんだけどさ」
 燭台切に優しく促され、審神者はぽつりぽつりと昼間あった出来事を話し始める。それを静かに聞いていた燭台切は、話が終わると実に彼らしい一言を口にした。
「それは格好良くないね」
「でもねー、あっちの言い分もわかるんだよね。服脱ぐの手っ取り早いし。けどさ、私も一応女なんだしさ、少しは気にしてくれるといいなって思うんだよ」
「一応も何も君はどこからどう見ても可愛い女の子だよ」
 さらりと紡がれる褒め言葉に審神者は少し照れながら、明後日の方向を見る。
「そういう事言ってくれるのは、燭台切さんくらいだよ。それ、素なんだもんなあ」
 敵わないよ。呟いて、審神者は暗い地面に視線を落とした。
「私がもう少し女らしかったら、ちょっとは違うのかな」
 なんて言ってみたりして。顔を上げて、いたずらっ子のように舌をぺろりと出す。
「景趣を変えてみるとか……それともやっぱり2205年に生きる人間らしく、空調設備を整えるのがいいのかな」
「お金かかるんじゃない?」
「通帳と相談だね。どれぐらいかかるんだろ。こんのすけに聞いてみようかな」
 笑う審神者に燭台切も小さく笑みをこぼす。そうして、しばらくの間、二人は本丸の予算について真面目に語り合った。 

 一通り雑務を終え、自室に戻ると、審神者は早速金庫を開けて、自身の通帳を見た。無駄遣いをしていないだけあって、その残高はなかなかの額だった。が、広い屋敷の空調を完備するにはいささか足りないように思える。審神者は本日何度目かわからないため息をついた。
 通帳を眺め、畳の上にごろりと横になり、審神者はぽつりと呟いた。
「やっぱり女らしくしてみるか……?」
 でも、女らしいってなんだろう。セクシーとキュートどっちを目指すのか。自分の容姿を考えると、どちらも目指せないような気がする。畳の上をごろごろしながら、そんな虚しい答えに辿り着き、審神者は嘆きの声をあげた。
 と、その時、「どうした大将。入るぞ」という声。呻きながら返事をすると遠慮なく襖が開いた。通帳片手にごろごろしている審神者と襖から顔を覗かせた薬研藤四郎の目が合う。おそらく彼女の妙な叫び声をたまたま聞きつけ、様子を見に来てくれたのだろう。気まずい沈黙を切るように、審神者は答える。
「ちょっと女らしさについて考えてた」
「そうかそうか。それなら、まずはその体勢をどうにかしないとな」
「仰るとおりです」
 体を起こし、その場で正座をし、審神者はぺこりと頭を下げる。
「お騒がせしました」
「いいってことよ。じゃあな大将、しっかり休めよ」
 何事もなかったかのように薬研は部屋を後にする。その小さな背中を見送りながら、審神者は一人呟いた。
「もう寝よう」

 近侍が気を利かせて用意してくれていた布団に潜り込み、審神者は目を閉じる。そして、ふと昔憧れていたアニメの登場キャラについて思い出した。可愛らしい容姿、可愛らしい言動。まさにあのキャラクターは女の子の中の女の子ではないか。これだ! と審神者は心の中で声をあげた。
 この本丸を預かる審神者は、ガサツでズボラな性格に加え、少々斜め上の思考回路を持っていた。

   ※

 今日も今日とて、本丸の面々は出陣、遠征、内番と日々の業務をこなしていく。いつもと変わらない平和な日常……のはずだったが、1ついつもと違うところがある。それが本丸の主である審神者の言動だった。
「大将、出陣した部隊が帰ってきたんだが、怪我人がいるらしい。手入れを頼む」
「はわわ、それは大変だ!」
 普段使わない謎の言葉が台詞の前後についているのである。
「なあ、大将。そりゃなんだ?」
「ん?」
「いや、気にしないでくれ(気のせいだったか?)」
 足早に廊下を歩きながら、手入れ部屋に向かう。戸を開けると、負傷した刀剣男士がすでに待機していた。面目なさそうな顔をしている彼らに審神者はひどく心配げな視線を投げかける。
「はわわ、大丈夫?」
「(……はわわ?)」
 一瞬、我が耳を疑う刀剣男士たちだったが、聞き間違いだろうと流すことにした。
「悪い、ドジ踏んだ」
「敵の投石兵にしてやられてね。こんなの格好悪いね」
 苦虫を噛み潰したような表情の和泉守に続き、眉を下げ、すまなそうに燭台切が状況説明をする。それを聞き終えると、早速審神者は動ける刀剣男士たちに指示を出し、傷が酷い者から順番に手入れを開始する。
「今、手入れするよ。はわわ」
「(はわわ?)」
 打粉を片手に、刀剣男士の本体である刀を丁寧に手入れしていく。その横顔は真剣そのものだったが、審神者の口から出てくる台詞は普段と違って、どこかおかしかった。
「えっと、主さん。その語尾、なんですか?」
 あえて誰もしなかった質問を、手入れされ中の堀川が言いづらそうに口にする。審神者の言動を同じように不思議に思っていた仲間たちは、よく言ったと言わんばかりに堀川を見た。ぽんぽんと打粉を打つ手は止めずに、審神者は短く答えた。
「はわわ、やっぱり変?」
「(あ、また言った)いえ、そんなことはないですけど、何かあったんですか?」
「ちょっと意識を変えようと思ったんだ、はわわ」
「そ、そうなんですか……」
 ごくごく真面目な顔で変なことを言う審神者に、刀剣男士は内心小首を傾げる。この人は今度は一体何をしようとしているのか、と。
 刀剣男士たちは自分たちの主が少々変わっていることを知っている。

 審神者の不思議な言動は変わらず続いている。特に彼女は「はわわ」という言葉を気に入って使っているようだ。台詞の始めに、後ろに、特に意味もなく付けている。
 そんな審神者が気になっていたらしい。今剣が一番に彼女の真似をし始めた。「はわわー、ちょっとめんどうだなあ」内番の畑仕事をする際に、ぽつりとこぼす。その今剣の言葉を聞いていた秋田が「はわわ、いい畑って色んな虫がいるんですね」と返す。短刀たちを皮切りに、すぐに刀剣男士たちの間で審神者の真似が始まった。この本丸の刀剣男士たちは、割とノリが良い。
「はわわ。出陣してくるね、いってきます」
「遠征、成功だね。はわわ」
「はわわ、手に豆ができてしまったよ」
「はわわ、ありがたき幸せ」
 当初、審神者に感じていた違和感はどこへ行ってしまったのか。刀剣男士たちは会話の端々でとってつけたように「はわわ」と言う。すっかり彼らの間に浸透してしまったらしい。

「はわわー、今日も暑いな」
「はわわっ、ちょっと服来てよ!」
「あー? 暑いんだから仕方ねーだろ、はわわ」
 廊下を歩いていると、どこからともなく聞こえてくる会話。つい先日、似たようなやりとりを聞いた気がする。審神者が声の方を向くと、はたしてそこには半裸の刀剣男士とそれを注意する刀剣男士の姿があった。
「はわわ、ただいま主。ねえ、主からも言ってやってよ!」
「だーかーらー、汗だくなんだっつの。はわわ」
 ぷりぷりと怒るのは乱で、そんな彼に適当に返事をしているのは同田貫だった。審神者は目のやり場に困りながら視線を彷徨わせ、「2人ともお疲れ様」とだけ伝える。
「まったく、嫌になっちゃうよね、はわわ!」
「はわわ、そうだね」
 腰に手を当てて、ご立腹の様子の乱を宥めるように審神者は答え、がっくりと肩を落とした。
――違う、そうじゃない。
 審神者は頭を抱えた。すべては無駄なことだった。審神者が取った行動は、本丸にとんちきなブームを起こしただけで終わってしまった。
「はわわ、主、どうしたの?」
「なんでもないよ」
 その瞬間から審神者は言葉遣いを以前のそれに改めることに決めた。
 そうして、第一次本丸はわわブームは静かに去っていったのだった。